2006年11月30日
「中秋の宴」と「中秋宴」
今日の琉球新報夕刊によると、11月25日に国立劇場おきなわで開催された「中秋の宴」のプログラムは以下の通り。
1.神歌祝頌(おもろこねり)
2.笠舞
3.花索舞
4.籃舞
5.拍舞
6.武舞
7.毬舞
8.桿舞
9.竿舞
10.戯楽
同日、シュガーホールで開催された「冊封使・徐葆光が見た中秋宴」のプログラムは以下の通り(スーパー獅子舞など、中秋宴以外の演目を除く)。
1.神歌
2.太平曲・太平歌
3.笠舞
4.花索舞
5.籃舞
6.桿舞
7.竿舞
8.武舞
9.毬舞
10.戯楽
どちらも「中山傳信録」を基に再現しているはずなのに、内容や順番が微妙に違う。これらの小異が両団体の公演を一本化できなかった原因だろうか。繰り返しになるが、諸事情により公演の一本化が無理ならば、せめて両方を見比べることができるよう公演日をずらしてほしかった。
琉球新報夕刊、2006年11月30日
沖縄タイムス夕刊、2006年12月5日
沖縄タイムス朝刊、2006年12月26日(上半分)
左からの続き(下半分)
沖縄タイムス朝刊、2006年12月27日(上半分)
左からの続き(下半分)
1.神歌祝頌(おもろこねり)
2.笠舞
3.花索舞
4.籃舞
5.拍舞
6.武舞
7.毬舞
8.桿舞
9.竿舞
10.戯楽
同日、シュガーホールで開催された「冊封使・徐葆光が見た中秋宴」のプログラムは以下の通り(スーパー獅子舞など、中秋宴以外の演目を除く)。
1.神歌
2.太平曲・太平歌
3.笠舞
4.花索舞
5.籃舞
6.桿舞
7.竿舞
8.武舞
9.毬舞
10.戯楽
どちらも「中山傳信録」を基に再現しているはずなのに、内容や順番が微妙に違う。これらの小異が両団体の公演を一本化できなかった原因だろうか。繰り返しになるが、諸事情により公演の一本化が無理ならば、せめて両方を見比べることができるよう公演日をずらしてほしかった。
琉球新報夕刊、2006年11月30日
沖縄タイムス夕刊、2006年12月5日
沖縄タイムス朝刊、2006年12月26日(上半分)
左からの続き(下半分)
沖縄タイムス朝刊、2006年12月27日(上半分)
左からの続き(下半分) 2006年11月30日
2006年11月30日
内田樹教授曰く
2006年11月29日
2006年11月28日
さようなら胡屋歩道橋
今日の琉球新報朝刊によると、胡屋歩道橋は「1983年2月に現在の形で設置され、約24年間利用されてきた」とあり、読みようによっては「1983年2月まで胡屋十字路に歩道橋はなかった」とも受け取れるが、あそこには少なくとも1970年12月20日までには歩道橋が架けられていた。というのは、コザ事件で焼け焦げになった車輌が転がっている24号線(現・国道330号線)を胡屋歩道橋の上から家族で見物した記憶がはっきりと残っているからだ。実家の押入を漁れば、そこから撮った写真が出てくるはずだ。でも、この歩道橋がいつごろ胡屋十字路に架けられたのかは記憶が曖昧だ。私は1967年の4月からセンター通り(現・中央パークアベニュー)近くの家を出て今の沖縄市一番街を通り抜け、喜友名百貨店(今は何になっているのだろうか?)近くの横断歩道を渡り、更にコザ警察署(現・沖縄警察署)前の横断歩道を渡って幼稚園に通っていた。その当時、歩道橋があれば「歩道橋を渡りなさい」と母に言われ、私はそれを守っていたはずなのに、横断歩道を渡った記憶しかないから、私が年少組だった1968年3月まで胡屋十字路に歩道橋は架けられていなかったのではないかと思う。
私の通っていた幼稚園は1968年度に胡屋から嘉間原に引っ越したので、年長組になってからは胡屋十字路を通らずに通園するようになった。更にその年の7月に家がセンター通り近くから京都観光ホテル近くに引っ越したことに伴い、私はバス通園になった。ちなみに利用していたのは幼稚園のバスではない。母から財布に1セント玉を2枚入れてもらい、中の町から嘉間原まで路線バスで幼稚園に通っていた。バス賃は片道1セントだったはずなのに、約8ヶ月間で2回だけ運転手に「1セントじゃ足りん」と不機嫌な声で言われ、泣きそうになりながら「でも、これしかもらってないのに」と通園バッグから取り出したガマ口を広げて見せたことがある。2回とも運転手は舌打ちした後「だったらいいよ」とか何とかモゴモゴ言いながら、そっぽを向いた。私はこの2人の運転手の顔を今でもはっきりと憶えている。
バスに乗っている間中、私は大きなハンドルやシフトレバーを操作する運転手にかぶりついて、車外の景色を見ることが全くなかった。その間に胡屋歩道橋は完成したのだろうか。それよりも何よりも、段々と「嘉間原」がいつ「嘉間良」になったのかということの方が気になりだしてきた。テープが擦り切れていたのか、スピーカーの性能が悪かったのか、とにかく聴き取りづらかった車内アナウンスだったけれど、1969年3月までは確かに「次はカマハラ、カマハラ」と案内していたのだが。
2006年11月28日
愛猫チャンイ;吐く
初代チャンイに供えたマグロをウサンデーして冷蔵庫に入れてあったものを今朝、二代目に与えたが、冷たすぎるのか匂いを嗅ぐばかりで食いつきが悪い。そこで、軽く電子レンジで温めて「炙り」状態にしたら、またガツガツと一気に平らげた。それから自分の朝食の準備をしていると、流しの上でそれを見学していたチャンイが食べたばかりのマグロを吐いた。食べやすいようにと細かく切ったマグロが棒状になって出てきている。昨日みたいにまた食べるかなと思ったが、匂いを嗅ぐばかりで食べようとしない。チャンイはしばらくすると床に飛び降り、続けて棒状マグロを2本吐いた。今度も怖々と匂いを嗅ぐだけなので、3本とも片づけた。
チャンイ、今度マグロを食べられるのは、早くても正月だぜ。ま、俺もお前がガツガツ食べるであろうことを予測しながら、マグロを山盛りにしたのは悪かったな。次回はもっと小分けにして食べさせるから、今日のところは赦してくれ。
2006年11月28日
2006年11月27日
愛猫チャンイ;甘やかされて1周年
二代目チャンイがうちに来て、今日でちょうど1年経った。
初代チャンイとは8週間しか共に暮らすことができず、しかもその内6週間余りは闘病生活だったので、二代目は普通に餌を食べ、排泄し、暴れまくっているだけで「おぉ〜、今日も元気だな〜」と誉められる。食卓や流しの上に跳び乗っても、食べ物に手を出さない限りは強制的に下ろされることがなく、普段無口な分、ちょっと鳴いただけで「どうした、どうした」とすぐに抱っこされたり撫でられたりする。
ガチマヤーだった初代チャンイがキャットフード以外に知っているのは、パンの耳とヨーグルトの味くらいのものだ。「もう少し大きくなったら、いろいろ味見させてやるからな」と我慢させていたのに、初代チャンイは結局大きくなるどころか、ひと回り縮んだ挙句死んでしまった。二代目は先代に比べるとあまりガチマヤーではないが、それでもほしがるものは先代に味見させるつもりでほとんど全て与えている。
二代目は去年の9月末にやんばるで心優しいMさんのご家族に拾われた。ひとりぼっちでうずくまっていたという。やんばるのどこで拾われたのか正確な場所は知らないが、Mさんからの話を聞いた限りでは、それが街中でないことはわかる。捨てられてどのくらいひとりぼっちだったのだろうか。よくぞカラスやマングースの餌食にならず、交通事故にも遭わず、幸運に巡り会えたものだと思う。二代目には常日頃「おまえを拾って2ヶ月間育てて下さったMさんのことを忘れるなよ、Mさんに感謝しろよ」と口を酸っぱくして言い含めているが、当の本人(本猫?)はわかっているのかわかっていないのか、さっぱりわからない。
二代目と出会って1周年の記念にできるだけ可愛い写真を撮ろうとしたが、チャンイは相変わらず「おっぴろげ」や「オッサン」などのポーズしかしてくれない。寝ている時にそっと近づくと、ムクッと頭を上げたチャンイに「んだよぉ」と睨まれてしまう。それでも何とか今日の午前中にチャンイの隙をついて撮った写真がこれ(ちょっとピンぼけなのが盗撮っぽい)→
頭頂部を椅子の背もたれにグイグイ押しつけ気持ちよさそうに眠っている。チャンイ、うちに来てくれて有難う。お姉さんの分まで、食べて、寝て、暴れるんだぞ。
初代チャンイとは8週間しか共に暮らすことができず、しかもその内6週間余りは闘病生活だったので、二代目は普通に餌を食べ、排泄し、暴れまくっているだけで「おぉ〜、今日も元気だな〜」と誉められる。食卓や流しの上に跳び乗っても、食べ物に手を出さない限りは強制的に下ろされることがなく、普段無口な分、ちょっと鳴いただけで「どうした、どうした」とすぐに抱っこされたり撫でられたりする。
ガチマヤーだった初代チャンイがキャットフード以外に知っているのは、パンの耳とヨーグルトの味くらいのものだ。「もう少し大きくなったら、いろいろ味見させてやるからな」と我慢させていたのに、初代チャンイは結局大きくなるどころか、ひと回り縮んだ挙句死んでしまった。二代目は先代に比べるとあまりガチマヤーではないが、それでもほしがるものは先代に味見させるつもりでほとんど全て与えている。
二代目は去年の9月末にやんばるで心優しいMさんのご家族に拾われた。ひとりぼっちでうずくまっていたという。やんばるのどこで拾われたのか正確な場所は知らないが、Mさんからの話を聞いた限りでは、それが街中でないことはわかる。捨てられてどのくらいひとりぼっちだったのだろうか。よくぞカラスやマングースの餌食にならず、交通事故にも遭わず、幸運に巡り会えたものだと思う。二代目には常日頃「おまえを拾って2ヶ月間育てて下さったMさんのことを忘れるなよ、Mさんに感謝しろよ」と口を酸っぱくして言い含めているが、当の本人(本猫?)はわかっているのかわかっていないのか、さっぱりわからない。
頭頂部を椅子の背もたれにグイグイ押しつけ気持ちよさそうに眠っている。チャンイ、うちに来てくれて有難う。お姉さんの分まで、食べて、寝て、暴れるんだぞ。
2006年11月27日
冊封使・徐葆光が見た中秋宴

先週土曜日、シュガーホールで「冊封使・徐葆光が見た中秋宴」を観た。前日に前売券を買おうと新聞に載っていた担当者に電話したら「わざわざ佐敷まで来なくてもいいですよ。受付で前売券を準備しておきますから、お金も当日払ってください」と言われ、名前と枚数を伝えていたのだが、当日、受付に行ったら私の分は準備されていなかった。受付でちょっとしたすったもんだがあって血圧も少々上がったが、何とか無事に前売料金で入ることができた。
プログラムに挨拶文を載せた方のうち3人が登壇して挨拶した。その中の1人は公演を中断しての挨拶だったが、集中力が途切れてしまうので、できればまとめて公演前にしてほしい。ま、お偉いさんの都合によるものだから仕方ないかも知れないけれど。
演目は以下の通り。
1.神歌
2.太平曲・太平歌
3.笠舞
4.花索舞
5.京太郎万歳踊
6.笠戯踊
7.しょんだう
8.スーパー獅子舞
9.籃舞
10.桿舞
11.竿舞
12.武舞
13.毬舞
14.戯楽
8のスーパー獅子舞が中秋宴と無関係なことはすぐにわかったが、明らかに他の演目とは毛色が違うとの印象を受けた5〜7も同様だった。これは帰宅してじっくりプログラムを読んで初めてわかった。爆竹や火を使う14の戯楽だけは野外ステージで演じられたが、付け足しの5〜8は中秋宴の演目がひと通り終わってから、野外へ移動する前に演じた方がよかったと思う。演目のひとつひとつは衣装も踊りも歌も演奏もよかった。それだけに全体のまとまりに欠けた、何となく胸の内がモヤモヤとする構成が残念だ。
2006年11月26日付琉球新報朝刊
2007年2月9日付琉球新報朝刊 2006年11月27日
2006年11月27日
大雨の音で目が覚めた
闇の中で暫くジッとしていたら、水滴が段ボールに落ちているような音がするので「雨漏りか!?」と慌てて電気をつけて室内をチェックしたが異常なし。
雨足が弱まるとともに気になる音もしなくなったが、目が冴えて眠れない。
雨足が弱まるとともに気になる音もしなくなったが、目が冴えて眠れない。
2006年11月25日
韓国の傳統宮中茶菓「クルタレ」
2006年11月25日
2006年11月24日
287年振りの中秋宴
「冊封副使・徐葆光(1671-1740年)が1719年に首里城で見た中秋宴の御冠船獅子舞を287年ぶりに再現しようと、南城市の関係者が取り組んでいる。(中略)『冊封使・徐葆光が見た中秋宴』は11月25日に南城市文化センター・シュガーホールで上演される予定」という新聞記事を読んだのは、今年の9月8日だった。その後、今月7日に国立劇場おきなわへ「うちなーSongのルーツを追う」を観に行った時、25日の公演予定に「中秋の宴」とあるのを見て、「シュガーホールから国立劇場おきなわに会場が変わったんだな」と思っていたが、21日と22日に立て続けに出た記事を読んで初めて、同じ日に別の団体がそれぞれ「中秋宴」公演を催すことに気づいた。しかも、開演がシュガーホールは16:00、国立劇場おきなわは18:30と、掛け持ちで観るには無理な時刻に設定されている。
別の団体が同じ日に違う場所で同じ内容(解釈などにより、再現されたものは多少違って来るであろうが)の公演をすることになったのは偶然だろうが、それに気づいた時点でお互いに協力して公演を1本化することはできなかったのか。それができなくても、せめて観に行く人のことを考えて、スケジュールをずらすことはできなかったのか。「冊封使・徐葆光が見た中秋宴再現会」の平田久雄会長(シュガーホール組)と又吉静枝沖縄県立芸大教授(国立劇場おきなわ組)は仲が悪く、狭いムラの中で互いに意地を張り合っているのだろうか。


別の団体が同じ日に違う場所で同じ内容(解釈などにより、再現されたものは多少違って来るであろうが)の公演をすることになったのは偶然だろうが、それに気づいた時点でお互いに協力して公演を1本化することはできなかったのか。それができなくても、せめて観に行く人のことを考えて、スケジュールをずらすことはできなかったのか。「冊封使・徐葆光が見た中秋宴再現会」の平田久雄会長(シュガーホール組)と又吉静枝沖縄県立芸大教授(国立劇場おきなわ組)は仲が悪く、狭いムラの中で互いに意地を張り合っているのだろうか。




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